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苦しかった正月 [■ブログ■]

 遅まきながら、新年あけましておめでとうございます。本年も皆様に幸多い一年でありますよう、心からお祈り申し上げます。未年の今年、思い浮かぶのはニュージーランドの草原で羊たちがのんびりと食事している様子です。今年の日本が、そんな風にのどかであってほしいと思います。

 昨年の暮は、安倍内閣の突然の解散による衆議院選挙があり、党から北海道と東北の候補者を担当させていただきました。寒い中での候補者の頑張りと、支持者の熱い応援が未だに目に浮かびます。

 選挙が終わった12月16日。気象庁は不要な外出は控え、警戒するよう呼びかけ、北海道発着の飛行機やJRは運休、フェリーも1万トン以下の航路は欠航、学校の多くが休校するような状況のなか、仙台からフェリーに乗って北海道に渡りました。船内の浴場に入ったら、風呂の湯が荒れる海のようでした。

 翌朝、苫小牧港に到着。漁港で念願の海鮮丼を食べて、吹雪の中、300kmの道のりを釧路に向けて走り出しました。帯広を過ぎた辺りで夜になり、国道38号の小さな峠で大型トラックが数kmに渡り立ち往生し、往来が止まっていました。たまたま近くにあった脇道から渋滞の先に迂回し、夜7時30分過ぎに釧路にたどり着く事ができました。台風並みの強さの低気圧に、何があっても大丈夫なよう、車の中には非常食や水、スコップや防寒着は用意しておりましたけれども、渋滞で止まった時は、釧路に行くのを諦めて、帯広に戻ろうかと思った程でした。

 翌日は、朝一番に釧路市動物園に行き、男鹿水族館のホッキョクグマ・豪太とクルミの子、ミルクに再会しました。雪が少ない釧路に珍しく積もったのが嬉しいのか、あらん限りに雪とプールではしゃぐ様子に元気をもらいました。その後、釧路市役所を訪問し、地方創生に関連した都市経営の在り方と、全国的にも先進的な、生活保護受給者の社会復帰に向けた取り組みについて伺いました。

DSC_0011c.JPG

 帯広市に戻り、TPPを見据えた農業の持続の観点から、畜産も含めた大規模農業について見せていただきました。肉牛の肥育ファームを訪れると、何もかもが合理化・大規模化されており、地元・秋田の畜産農家との規模の違いに驚きました。お話を伺うと、牛の飼料が円安の影響もあって日本ではアメリカの5倍もするなかでの競争だが、肉質の良さと食の安全性を追求して頑張っていく、と仰っていました。

 地元に帰って振り返ると、積雪など自然条件が厳しい地方の生活と東京とでは、あまりにも大きな格差があります。全国一律横並びの制度の中で、国主導で地方創生や六次産業化を訴えてみても無理があります。ハンデがある場所にはそれぞれの状況に応じた制度が必要だと痛感した年越しでした。

 正月休みに地元におりますと、米価が安いことや円安の影響で物価が高くなってやっていけない等、厳しい話ばかりが耳に入ってきます。東京ではアベノミクスで潤って喜んでいる人もいます。しかし、地方の実態はマイナス方向にシフトしています。そんななか、横手商工会議所の年始の会合に出席しました。挨拶の登壇の際に希望する音楽をかけてくださるということで『鳩ぽっぽ』をリクエストいたしました。

  ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ
  豆が欲しいか そらやるぞ
  みんなで仲良く食べに来い

 …という歌詞に、アベノミクスは結局バラマキ(豆)であるという意味を込めたつもりです。アベノミクスが失敗したら日本は財政的に破綻してしまう、成功するよう野党として、しっかりとチェックしますという事と、地方創生は詰まるところ『人材育成』だという話をしてまいりました。

 1月も20日を過ぎて、ようやく心も落ち着き、ブログを書こうという気持ちになりました。週が明けた26日からは、いよいよ150日間に渡る通常国会が始まります。おかげでだいぶ英気を養うことができました。本年もよろしくお願いいたします。


遊・学3000 ~時と豊かに暮らす~ [■ブログ■]

 今から15年前の話になる。秋田県知事になって3年目だった当時、県の新たな総合計画を策定するにあたり、この先どういう視点で進めるのかについて、考えに考えた結果、『「時と豊かに暮らす秋田」を目指して』と題した「あきた21総合計画」を作った。

 策定当時は平成11年(1999年)。21世紀を目の前にして、東西冷戦が終結し、情報通信システムが飛躍的に進歩したことで世界経済が大競争時代に突入した頃で、国際社会のなかでグローバル化に対応することが求められた時期だった。

 総合計画の中心に据えたテーマが『遊・学3000』だった。1年間を時間に直すと8760時間になる。そのうちから、睡眠や食事などの基礎的な時間と学業や労働などの時間を除いた、個人が自由に使える時間は年間3000時間ある。その3000時間という自由時間を学んだり、遊んだり、家族と過ごしたり、ボランティア活動をしたり…各人がいかに工夫し、充実した使い方をするかによって、その後の人生の満足感が違ってくるのではないかと考えた。そして、人生に充実する県民が増えれば、新たな価値観や新しい可能性を見出し、秋田が豊かになるのではないかと考えて提案した。

 しかし、県議会からは「ふざけている」「この不景気に、遊びなどとんでもない」「一体これは何なのか?」等々…非常に厳しい指摘を受けた。バブルが崩壊し、「失われた10年」と言われる平成不況の真っ只中では、「自由時間を活用して、遊んで、学んで、人生を充実させよう」と言っても、「ふざけるな」と言われるのは仕方のないことだったかもしれない。

  このことに限らず、子育て支援税等の政策でも、考え方が世の中の人より10年ほど先走るうえに、説明の言葉足らずで、なかなか県議会の理解を得られなかった私を、現在、消費者庁長官である板東久美子副知事(当時)が秋田を去る時に、「寺田典城という人物像を見ると、あの人に賛成する人もしっかり理解していないようだし、反対する人はなおさら理解していないようだからもう少し見てみたかった」と評してくれた。言い得て妙な一言だ。

 あれから15年。この『遊・学3000』のように、自分の時間を上手に活用することは、仕事に取り組む意欲を高め、文化の向上にもつながり、ひいては日本の活力の源になると思う。地方創生だ、国土強靭化だと、予算をバラ撒いて、将来世代に借金を付けまわすことよりも、一人一人の国民が、時間にゆとりを持ち、人生を豊かに生きることが、この国に新しい発展をもたらすことにつながると思う。

 「女性が輝く日本」と「地方創生」は安倍内閣の目玉のようだが、労働人口の4割近くの人が非正規雇用で、仕事が不安定で賃金が低い現状では、先ずは所得格差を解消する制度の創設と、会社や仕事に一辺倒に従属させられる働き方・生き方から、個々人が時間のゆとりを持てる生き方へと、企業と働く人の意識を変えていくことが必要だ。そのなかでも、真っ先に変わらなければならないのは旧態依然とした国会の在り方だ。

  ここにきてようやく、9月末に国は長時間労働削減推進本部を立ち上げ、過重労働の撲滅や休暇取得の促進等に目を向け始めた。元来、日本人は勤勉な性格で、ひたすら働くことを何よりも良しとする雰囲気があるが、これをキッカケに、人々の意識が変わり、今までとは違う、新しい価値観が生まれ、安定と成長がもたらさせるものと期待している。

 


結いの党・メールマガジン記事 [■ブログ■]

結いの党メールマガジン(2014.7.16 Vol.20)向けに寺田が書いた記事を、皆様にもお目にかけたく、転載いたします。 



 アベノミクスは異次元の金融緩和で赤字国債を発行し、日銀に約200兆円もの国債買取をさせている。機動的な財政出動・景気浮揚と称した公共投資では、資材費や労務費の高騰を招き、被災地を中心に各地で入札不調が絶えず、復興が足踏みしている。今の調子で国家財政運営を続けると、借金王国日本は、財政破たんの道に突き進むのではないかと危惧し、怖れている。
 景気は回復に向かっているというが、邪道である日銀の国債買い取りを絞れば、金利が上昇し国債が大暴落する。消費税が10%になっても、その増加分は消し飛んでしまう。そのうえ更に円安が進むと、輸入品の価格が上がり、特に食料やエネルギー(燃料)など生活に必要に物の値段が高騰する。その対策として、食料自給率を上げるための農業政策、省エネルギー社会のいっそうの推進が必要だ。
 異常なインフレで物価が高騰し、低所得者や年金生活者をはじめ、生活が立ち行かなくなってくる人々が増えるとともに、金利の上昇により、国家財政が行き詰る。
そんな状況と時代に来ているからこそ、安倍内閣がすべきは、財政規律を健全化し、格差社会を解消することだと考えるが、それには手を付けずに、原発再稼働の推進、中国韓国に対する挑発をはじめ、集団的自衛権や、昨年末の特定秘密保護法案の強行採決などをしている。
 先日、滋賀県知事選挙が終わった。滋賀県民は安倍内閣の暴走に対し、Noの意思を示した。野党もしっかりと連携し、歯止めの効く政治体制を作らなくてはならない。

どうする日本 [■ブログ■]

 日本は世界から戦争をしない国として受け止められている。しかし安倍政権は、集団的自衛権と称して憲法解釈を変え、戦争をする国にしようとしている。我が国は、他国から攻撃を受けた場合は、国民の生命、身体、財産を守るために自衛権を発動して防衛することは許されている。それを、アメリカ等と一緒に組んで、日本と密接な関係のある国を守るために攻撃ができるように変えたいようだ。

 それならば、国会の場で議論し、憲法96条※1に定める手続きを踏んで憲法9条※2を改正するのが筋だ。しかし、この休会中に解釈変更だけで閣議決定して決めてしまおうとしている。

 政権交代後の野党は非力だ。昨年末の特定秘密保護法案もしかり、今回の国会法の一部を改正する法律案ほか2法案もしかり、数の力で強行採決されるという異例な国会運営を許してしまった。また、与党自民党の議員が安倍内閣に対し異論を唱えない・唱えられない事も異常だ。政治家としての理性の喪失がそうさせているのか? 

 あの原発事故、一千兆円もの借金を抱える国の財政問題など、国家理性の喪失により、国民皆で渡ってきてしまったこの深刻な現実を、政治は重く受け止め、変えていかなければならない。

 今この国が抱えている問題は、少子化と人口減少。2031年に枯渇すると言われる年金制度。高齢化時代の医療・福祉・介護などの社会保障の在り方。度重なる補正予算での建設投資。金融緩和と称して200兆円もの国債を日銀が引き受け、蛸が自分の足を食っているような財政の危うさ。第三の矢の規制改革は掛け声だけで先が見えず足踏み状態。地方分権は20年前から言われてきたが、利益政治を堅持したい自民党と、権益を守りたい中央省庁の抵抗で一向に進まない。中国、韓国との軋轢。TPP交渉と農業の再生の問題などなど…安倍政権は色々な問題を休会中に進めようとしている。このような大事な問題は、国会を延長し大いに議論すべきだと私は思う。

 問題点を羅列したが、それぞれについては今後ブロクで述べていきたい。

 自民党の一強多弱のなか、小野党の力ではいかんともし難く、無力感に打ちひしがれることも多々あるが、山積する問題から逃げずに取り組む所存だ。

 国政もそうだが、地元の秋田に目を向ければ、日本一の人口減少と高齢化県でもある。そして、スローガンだけで何も進まない県政。秋田市のなかいち、にかほ市のコールセンター、大型製材工場などについても心配している。秋田のことも追々書いてみたい。

 1月から150日間に渡った通常国会が先週終わった。今回も質問回数が多くしんどかった。(本会議と5委員会等で計27回)

 参考までに、同じ秋田県の国会議員の今国会での質問回数を挙げると、衆議院では、自民党の金田勝年議員が3回、御法川信英議員が0回、富樫博之議員が1回、日本維新の会の村岡敏英議員が18回。参議院では、自民党の石井浩郎議員が4回、中泉松司議員が4回であった。



※1 
憲法96() この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

※2
憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


首長は万能選手か? [■ブログ■]

 この頃は選挙の結果で(選ばれた人が)何でも決めることができるという風潮のようだが、これはいかがなものかと思っている。例えば、今話題の集団的自衛権や教育委員会の制度改革の件等もそうだ。選挙で選ばれた首長(知事、市区町村長)に新たな教育長・教育委員の任命権・罷免権をもたせるという。

 教育には、子どもたちを育てるうえで、どちらかに偏らない多様性が求められ、結果が出るまで時間がかかる。だからこそ、政治や信条から中立でなければならない。もし、首長に教育委員会に対して今まで以上の権限を与えた場合、今の安倍政権のように自分に都合の良い人間を選任したり、自分の気に入った教師だけを配置する等の濫用の恐れがある。現在、安倍政権が検討している改革案では、教育の中立性・普遍性が保たれなくなる可能性があり、選挙で首長が代わる毎に教育の現場が右に左にとブレる危険性を払拭できない。

 首長の最大の責務は、住民の安全・安心な暮らしを守ること、つまり「身体・生命・財産」を守ることだ。首長の権限の中には、議会に対する教育長・教育委員の人事提案、教育委員会も含めた組織に対する調整や予算執行などがあり、現行のままでも教育委員会に対して一定の影響力を持っている。

 大津市のいじめ事件での教育現場と教育委員会の隠ぺい体質に端を発した今回の教育改革だが、あれは教育内容ではなく、住民である生徒の命にかかわることなのだから、首長が早急に組織に対する調整力・指導性を発揮して、必要な情報を開示する等の対処ができたはずなのに、それをしなかった事が問題なのであって、教育委員会という組織を変えてしまえば解決だと一足飛びにすることはおかしいと私は考える。

 たとえ民意の結果として選ばれた首長であっても一人の人間である以上、それぞれ得意分野も苦手分野もあり、人の好き嫌いもあるだろう。私自身18年間首長を経験しているが、決して万能選手ではないことは、今までの道のりの結果のとおりである。

 それでも、だからこそ、自分の能力の限界に謙虚に厳しく向かい合い、異なる意見に広く耳を傾け、議論していく姿勢が首長には求められると思っている。

 教育こそ国の根幹をなすものと信じて、教育行政に力を注いできた。知事時代には、全国に先駆けた幼保一元化の推進、30人学級、国際教養大学の設立など、県の教育庁(都道府県の教育委員会のこと)と手を取り合いながら進めてきた。それが今になって実を結んできている通り、現状のまま首長に権限を集中させなくても教育委員会改革は可能だ。

 今の教育委員会改革案では首長に権限が集中しすぎるきらいがある。首長にも色々な考えの人がいる。中立公正を心がける人ばかりとは限らず、選挙の票取りでしか教育を考えないかもしれない。その結果は述べるまでもないだろう。

 安倍政権は、政権交代を果たした選挙結果の勢いそのままに「勝った我々が正しい」と言わんばかりの強気の政権運営を続けており、この度の教育改革の首長への権限集中もそんな意識が見え隠れする。そこには一歩間違えば、国民を危険な谷底に突き落としかねない危うさ・怖さを感じている。昨年末の特定秘密保護法案にはじまり、教育委員会改革や集団的自衛権などなど、安倍政権が暴走しないように、今まで以上に注視していく。


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